ポピーインタビュー Vol.8 志田信也氏
医療法人社団楽聖会 介護事業統括責任者で「山形を明るく励ましたい!」と“ツル多はげます会”公認で山形県支部を設立し会長に就任されている、スキンヘッドとカラッとした笑顔が印象的な志田信也さんにお話を伺いました。
※“ツル多はげます会”とは、青森県鶴田町で、はげを通じて暗い世の中を明るく照らす活動を行う団体。つるつるの頭に吸盤をつけて行われる綱引きや、怪我ない(毛が無い)ことを祈願し子どもたちに頭をなでてもらう交通安全運動、有多毛(うたげ)と称する定例会などに取り組んでいるユニークでポジティブな活動を行っています。
志田少年は小さいころはどのようなお子さんでしたか?
集団登校の際に、背が高いので一番後ろを歩いてるわけですが、途中で面白そうなことを見つけるとそっちに行ってしまって(笑)「雨の日しか学校に来ないね」とよく言われていました。いつでも自分の気持ちのままなので、周りからいろいろ言われても自分は理解できず、多動が治らないでそのまま大人になっちゃったなって感じです。(笑)今もスタッフは振り回されて大変だと思います。
これまで様々なお仕事を経験されてきたと伺っています。
最初はアパレル関係の会社に勤め、ブランド服のプロデュースなどをしていました。その後、32歳で独立し同業種の会社2つを設立。国内外(東京、大阪、新潟、ロンドン)に3店舗出店するなど順調に事業を広げていき、感覚的なものが試される世界で大きく利益も出してそれなりの収入もありました。しかし、人生の折り返し地点と考えていた36歳を迎え、残りの人生後半をどのような仕事が相応しいのか考えるようになりました。可能性を試してみようと思い、思い切ってそれまでの仕事を他の者に任せ会社を離れました。男は何をしても生きて行けるということを試したくて、まずは千葉の東金の飯場で土方の仕事をしてみました。刑務所を出所したばかりの方や児童養護施設を出て行き場のない方、お金のない方や頼る方のいない方など、様々な事情を抱えた方がおりました。まるで別世界で「このような環境で生きてゆく人もいるのか」と思いましたね。約2か月の現場で得た収入が13万円と以前の仕事からのギャップを感じました。とにかく嫌なことでも大変なことでも自分はできるということを自己確認したかったので、もっと大変な仕事を探しました。体力的にキツい仕事だと聞いて長野県で高原野菜の農家に住み込みで仕事をしました。深夜の2時から収穫した野菜を朝獲り野菜として出荷するのですが、5月から9月は毎日レタスを10トン、10月11月には毎日白菜を20トン、人力で決められた数を出荷しなければなりません。周囲には遊ぶ場所などはなく、お金を使うことのない生活をするのはいいなぁと感じました。その後、親戚が山形で介護施設をつくるというので住み込みでケアの仕事を始めました
当時の福祉サービスは利用者側に沿ったものではありませんでした。例えば夕ご飯は夕方5時に出てくるし、夜間は居室に鍵を閉めるなど、自分には納得のいかないことばかりでした。宮崎和加子さんのグループホーム「福さん家」を見学したり、和田行男さんの「大逆転の痴呆ケア」を読み、自分が疑問に思っていたことは間違っていないと確信しました。その後、県になかなか認めてもらえなかった単独型短期入所施設の開設に携わりました。もともと実業の世界にいたのでマーケテイングリサーチを行い、反対もありましたが利用者の意向に沿ったサービス、断らないショートステイを目指した運営を行い、その他、数件の施設開設も経験しました。その後、諸事情により職場を退職し、しばらくはパチンコをして生活していました。この時ほど辛いと思ったことはありません。「仕事は人生最大の暇つぶし」と言いますが、その通りだと実感しました。
楽聖会に入ったのはどのようなきっかけだったのですか?
精神科クリニックに併設の精神科デイケアで心理職を募集していたのがきっかけです。もともと大学で心理学を専攻していたので心理職として入職しました。最初は若い方々の新型うつとか精神疾患をお持ちの方々の支援に関わっていたのですが、同一法人で運営する介護事業があまりうまく回っていなかったため、ここに関わることになり、実業の世界で経験した経営を活かしながら組織風土も変えてきました。理事長との出逢いも大きかったように思います。理事長は人が喜ぶ姿を見るのが好きで、スタッフの喜ぶ顔を見るためなら自分で動く理事長です。楽聖会の地域貢献事業も理事長の理解が大きいです。
理事長との出逢いが良かったのですね。楽聖会さんは平成27年のポピーの研修会いきいき職場の各事業所の取り組みでもご発表くださいました。確か、面白い休日がありますよね。
自分の誕生日に休暇をとることができるアニバーサリー休暇ですね。誕生日にはプレゼントもあります。他には、子育て世代が有給休暇を遠慮なく取得できるようスタッフ皆が有休をフルに活用する仕組みもあります。平均寿命も延びていますから70歳まで働けるよう定年延長およびその後の延長雇用の仕組みもつくりました。実際、楽聖会では80歳のスタッフも働いています。令和元年にはこの取り組みで表彰されました。独立行政法人高齢・障害・求職者雇用安定機構山形支部より旅費を出してくれるというので東京の表彰会場まで行きましたが、自分には表彰されるという感覚はなく(笑)主催者側の方々も戸惑っていましたね。
社会福祉士会で志田さんから福祉経営についての講義を聞かせていただいたことがありましたが、特に福祉理念について強調されていたのが印象的でした。
福祉経営は最近できたカリキュラムです。福祉も措置時代の運営から現在の経営と形態がずいぶん変わりました。今までなかったカリキュラムなのですが、福祉の方々にはしっかり学んでほしいところです。福祉もマーケティングや経営力、リサーチがとても重要。そして何よりも大切なのは理念です。福祉も経営は大事ですが理念を無視して利益に走るようなことはいけません。
志田さんにとって、仕事とはどのようなものでいらっしゃいますか。
仕事は糧をかせぐ(ライスワーク)ためと、社会貢献だと思っています。どんな仕事でも頑張らないといけないし、インチキはだめだと強く思います。
会の取り組みとして社会貢献にも積極的ですよね。今、地域に必要だと思うことは何でしょうか。
CSRという言葉がポピュラーになっています。CRSとは企業が持っているノウハウで地域課題を解決・貢献していくこと。(お金を出すことではない。)今、ここが重要視されています。介護事業者は高齢の要介護者への介護のノウハウや資源がある、そして当法人は医療法人で、医療と介護を提供しています。そのノウハウや資源を地域貢献として活用します。もちろん地域貢献はアンペイドワークです。南沼原地区では事業所連絡会で、各町内会とペアリングをし、地域貢献を行う「おらっちょプロジェクト」を行っています。当事業所ではあかねヶ丘3丁目とペアリングして活動しています。また、当法人のらくせいグループホーム南館は籠田3丁目南館第一町内会とペアリングしていますが、グループホームを移設するときに地域活動交流拠点らくせいホールを作りました。地域の方々がらくせいホール協議会を組織し、ここの運営を主体的に行っています。居場所づくりといいますが、私は人を意図的に集めるのではなく、自然と人が集まる場所になればいいと思っています。今は両親共働きの鍵っ子が多いですが、そういった子の居場所になったり、子どもたちが集まり上級生の子が下級生の勉強を見たりと、昔の地域の神社のように子供たちが集まる場になればいいと思っています。グループホームの高齢者とも交流が生まれています。職場体験に来たりもしますし、グループホームの方々で駄菓子屋さんもしました。地域で交流が生まれる。そういった場がもっと自然にできてくるといいなと思います。
パワーリフティングもされていますね。記録はどのくらいですか?また「リフターズやまがた」という活動も面白いですね
リフティング(シングルベンチプレ)公式記録は150Kgです。
東日本大震災から1か月経った頃、被災地支援で気仙沼の鹿折中学校体育館に行ったとき、自衛隊の方々が設置してくださった簡易お風呂で、介護が必要な方々の入浴介助をしました。その時、人力はどんな大変な場所にいても活用できることを実感しました。対人援助業務は専門的な技術はもちろんですが何より力が必要だと思います。筋トレをやっている若い子に「ボディメイクの大会に出るのもいいけど、鍛えた“魅せ筋”を社会貢献に使わないか」と声をかけてメンバーを集め「リフターズやまがた」を結成しました。僕らは依頼とスリングシートさえあればどんな段差でも超えるお手伝いができます。これまで、医療的ケア児がご家族とキャンプなどに行くお手伝いなど、当たり前のことを当たり前にできない方々のお手伝いをしてきました。現在メンバー募集中です。自分たちの活動を見て、少しでも手助けできる人が増えてくれればいいと思っています。
最後に、楽聖会でも行っている認知症医療デイケアについて教えてください。ケアマネからはプランに入れにくいという話もありますが、一方で受診しやすく、その方の状態や日常の様子をきめ細やかに把握して処方も細やかに調整していただけると聞いています。
認知症デイケア(重度認知症患者デイケア)は、認知症の行動・心理症状を治療するための医療保険のデイケアです。医師の判断により利用が開始され、作業療法士・看護師・臨床心理士・精神保健福祉士等の専門職が中心となりケアにあたります。医師によるデイケアでの状態確認などでお薬の調整や非薬物療法がおこなわれます。それによりBPSDの軽減につながると共にご家族の負担軽減も期待できます。
実体的には、介護保険の区分支給限度額がいっぱいで毎日介護サービスを使うことができない方が併用することで、在宅生活継続が可能となったり、介護家族の就労継続につながったケースもあります。
自立支援医療を使えば限度額の適用もあり費用負担もかなり抑えることができます。多くの方に知っていただきたいと思います。
ありがとうございました。
豊富な社会経験から目の前のことに納得のいくまで取り組まれ、仕事以外でも周囲の方々の力になりたいとパワフルに活動されていらっしゃる志田さん。初めてお会いしたときはそのあふれるパワーと見た目に委縮しておりましたが、利用者のため、住民のためにと尽力される姿には優しさが感じられました。これからも山形のエナジーとなって地域住民や利用者を明るく元気にしていただきたいと思います。
過去のポピーインタビューはこちらからご覧いただけます。 Vol.1 根本元医師(在宅医療・介護連携室ポピー室長・根本クリニック院長) Vol.2 峯田幸悦氏(山形県老人福祉施設協議会・ながまち荘施設長 Vol.3 大島扶美医師(医療法人社団・社会福祉法人悠愛会理事長) Vol.4 山川淳司氏(元小規模特別養護老人ホーム大曽根施設長/現盲特別養護老人ホーム和合荘) Vol.5 髙橋邦之医師(髙橋胃腸科内科医院 古舘診療所・飯塚診療所所長) VOl.6 神谷浩平医師( MY wells 地域ケア工房代表 ) Vol.7 大沼智之歯科医師(大沼歯科医院 院長)