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Oct 22, 2020

村山地域 在宅医療・介護連携拠点連絡会

村山地域には、直営以外で、市町村から委託を受けた「在宅医医療・介護連携拠点」が6か所あり、定期的に情報交換を行っています。第5回連絡会は、10月12日に当連携室ポピーが当番となって、山形市医師会館にて開催しました。今回は、コロナ禍での事業の展開の工夫や進捗について情報交換し、オンラインでの出張勉強会やACP(人生会議)のアニメによる普及など参考になることが盛りだくさん。また、この「在宅医療・介護連携推進」という事業そのものが、平成27年開始、平成30年より各市町村に必置となったもので歴史も浅く、各拠点が試行錯誤していますので、情報交換会は、お互いにとって貴重な場となっています。これからも、地域住民の生活を、医療と介護の視点から支えられるよう、各拠点連携していきます。

村山地域 在宅医療・介護連携拠点連絡会

◎天童市東村山群医師会・在宅医療・介護連携室エール  ◎寒河江西村山郡訪問看護事業団・在宅医療・介護連携支援室たんぽぽ  ◎山辺町地域包括支援センター包括ケア推進室  ◎村山市社会福祉協議会・北村山第一医療・介護連携センター ◎東根市社会福協議会北村山第二医療・介護連携センター  ◎山形市医師会・在宅医療・介護連携室ポピー

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Oct 9, 2020

ポピーねっとやまがた(医療・介護連携専用SNS)情報交換会開催

コロナ禍の中、対面での会議ができにくい状況となり、ポピーねっとやまがたへの関心が高まっています。4月ごろより、登録者数が増え続け、昨年同時期の3倍である300名以上の登録者数となっています。ポピーでは登録者の方により効果的に使っていただけるよう、また、新たに活用を考えている方のために、9月24日情報交換会を開催しました。

人数制限を設けながら、31人の方に参加いただきました。参加者の職種は、ケアマネジャー13名、薬剤師5名、社会福祉士3名、行政3名、看護師2名、医師1名、保健師1名、OT/PT各1名、その他1名となっています。
参加者からは「事例のように、利用者を中心としたケアでの活用ができればと思った。」「覚えが悪いが、まずは使いながら進めていきたい」「個別のケース以外でもさまざまな場面で活用できることを聴き、事業所内でも活用できる場面がないか考えていきたい」などの前向きな感想が寄せられました。
ポピー鹿野より、基本的な使い方説明
薬剤師八鍬氏より、薬剤師と医師他多職種との連携事例
看護師多田氏より、訪問看護や介護家族を中心とした連携事例
基幹型包括OT阿部氏より、山形市14か所の地域包括支援センターをグループとした活用事例
モデルグループを作り、スマホを使って、実際の使い勝手も体験
山形市長寿支援課係長三宅氏より講評「三人の方の発表それぞれから、多様な活用法を学べ、この地域の連携に非常に有効なツールであることがわかった」

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Oct 8, 2020

地域発フレイル予防プロジェクト始動

山形市南沼原地区において「南沼原発!ロコモ・フレイル予防体操普及プロジェクト」が始動しました。「自分たちの地域のご当地体操がほしい」といった住民の声を地域包括支援センターが受け、認知症高齢者の増加や閉じこもり、孤立の問題もあることから、フレイル予防の体操の作成を地区内の介護保険サービス事業所に所属しているリハ職等に依頼しました。地域の為に力になりたいと集まった各事業所の10人の専門職と、住民、関係機関でプロジェクトチームを結成し作成。ポピーも参加しています。地域の声とすり合せをしながら進めているのが本プロジェクトの肝です。

ポピーでは、在宅医療も介護も、まずは住民自身の介護予防意識が先にあることが大事と考えています。プロジェクトのこれからが楽しみですね。

9月11日、今日は4回目の会議、「100歳体操をするなどの地域活動の普及で、筋力向上、生活改善動作の改善も見られているけど、マンネリもあって、住民の方から「ご当地体操がほしい」ということだよね。」とスタートの振り返り
「今回のプロジェクトで考案する体操も山形市のSUKSUKポイントになるのかな?」「なる可能性がある」「やりがいにもなるね」
「長寿研と筑波大の調査では、コロナ禍の影響で高齢者の活動時間が3割減少との報告があるよ」「このプロジェクトも今まで以上に意義があるね」「受け入れやすい、続けやすい体操の考案が大事だね。」「併せて栄養面の啓発、情報提供も必要だね」
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Jun 30, 2020

さようなら 前田龍明先生

               山形市医師会長(兼ポピー室長) 根本 元

                   <山形市医師会たより~転載>

 前田龍明先生が、5月5日午前3時56分に63年の人生を終えてしまいました。  呼吸困難のため、3月23日朝に緊急入院しました。原因は間質性肺炎/肺線維症の急性増悪で、危篤一歩手前の状態でした。救急外来から直接ICU入室という緊急状態で、主治医からは「よくこんな状態で自力で救急室までたどり着いたものですね。普段なら救急搬送の状態です」と言われたそうで、その時のPaO2は31mmHgしかなかったようです。前々日の土曜日まで普段どおりに診療を行っていて、月曜日の朝に我慢できなくなり、救急受診したようです。  前田先生が入院したと聞いてすぐ面会に行くと連絡した時はもう少し待って下さいと言ってなかなか会ってくれませんでした。今の状態を見せたくなかったのかもしれません。それから一ヵ月半の闘病中、彼とは主にLINEで連絡を取り合いました。入院して10日ほどして、ようやく面会となりました。しばらく入院しなければならない状態で在宅の患者さんの依頼や産業医、学校医に関しても心配しておりました。そして退院したらもう一度在宅医療に戻りたいのでよろしくお願いします。必ず復活しますのでと約束してくれました。入院中彼と会ったのはその一度きりでした。  主治医には反対されたけどベッド上でリハビリを始めましたといったLINEも届き、本当に復活に向けて頑張っておられました。  しかしながら5月に入り、カルテからはかなり深刻な状況であると推測できました。それまで病状に関しては全く誰にも知らせてはいなかったのですが、在宅ケア研究会のメンバーに、LINEで応援メッセージを送ってほしい。今の前田先生には奇跡を起こす力が必要だと依頼しました。たくさんのメッセージが寄せられました。本人からは、在宅医療を行うものとして、せめて一日だけでも自宅に戻り、自分のACPを託したいので御協力お願いしますとの連絡が入りました。チームワークがよいのがこの研究会の取り柄で、早速各職種のスペシャリストによる応援団「チームドラゴン」が立ち上がり、先生はとても喜んでくれました。しかし皆の期待も虚しく、「チームドラゴン」が立ち上がった翌々日に、入院して一度も自宅に戻ることもなく先生は逝ってしまいました。  

 入院後病院カルテを開示してもらって知ったのですが、2年前の CTには現在とほぼ同じような間質性肺炎の所見が認められており、このような状態で超多忙な在宅医療を行っていたとは想像すらできませんでした。時々妙な呼吸をするなと思うことはありましたが、ジムでトレーニングもしており、よく一緒にお酒も飲みましたので、まさかこのような突然の別れが来るとは・・・。  

 先生と一緒に仕事を始めたのは、平成21年1月に山形在宅ケア研究会を立ち上げたときからです。その時私は、山形市医師会理事として、在宅医療をなんとかしたいと模索しておりました。彼はその時はすでに在宅医療に特化して多くの在宅患者を診ておりました。そこで医療と介護従事者のための意見交換とネットワーク作りのための在宅医療の研究会「在宅ケア研究会」を立ち上げて、私が会長に、彼が事務局となったわけであります。  在宅ケア研究会の最初の試みとして、二人主治医による在宅看取りを行いました。69歳の肺がんの女性で、済生館の有川先生が病院主治医で、私たち二人が、主と副の在宅主治医となり、最後を自宅で看取るという形態でありました。患家で何度かカンファレンスも行いました。その当時のカンファレンスメンバーが、今の山形在宅ケア研究会のコアメンバーとして今も続いております。その後研究会は毎月第3木曜日の19時から開催されて、現在まで継続しております。研究会の企画は持ち寄りですが、前田先生がメインで仕切ってくれておりました。  私は2年前に医師会長に就任しましたが、強くあと押ししてくれた一人が前田先生でした。医師会長になる条件として、在宅医療を推し進めるために是非前田先生に理事になってもらいたいと説得いたしました。その頃もうすでに肺の状態は良くなかったのかもしれませんが本人からは一度でも苦しいということを聞いたことはありませんでした。手前味噌かもしれませんが、むしろさらに元気に仕事にお酒に精を出していたように思います。

  毎年8月に行うポピー主催の「医療と介護の連携推進のための交流会」では、神輿を担いだり、天才バカボンのパパを演じたり、サムライニッポンのラガーマンとして雄叫びをあげたりと色々なパフォーマンスを発揮して皆を盛り立ててくれました。警察協力医会にも強引に入会していただき、死体検案業務にも関ってもらいました。  彼は豊烈神社、私は湯殿山神社の神輿会に在籍しており、一度だけ一緒に同じ神輿を担いだこともありました。楽しい思い出です。  

 彼がLINEで「先生に出会えたことが私のこの17年の開業医としての医療人生を大きく一新させていただきました。深く感謝しております。また復活して先生の側で働きたいです」と送ってくれました。  私ももっと一緒に仕事がしたかった。もっともっと一緒においしいワインを飲みたかった。本当に残念です。とても、とても。  誰より先生はもっと無念だったでしょう。  奥様より「信念を持って歩み通した人生でした」との言葉が最後のお葉書に添えられておりました。  新型コロナ感染症に対する緊急事態宣言のさなか、面会もままならずゆっくりとご家族とも面談できない状態で最後を迎えたことは、愛妻家でご家族思いの先生としては、誠に残念至極だったと思います。  心からご冥福をお祈り申し上げます。  

 前田龍明先生 ゆっくりお休み下さい。

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